赤木真澄

まこと司法書士事務所のホームページをご覧いただき誠にありがとうございます。
司法書士の松浦真澄と申します。

私は幼少のころ、漠然と弁護士に憧れていました。

法律のことをなんでも知っているのがかっこよかったのです。

しかし「司法試験なんて私には無理」と、大きくなるにつれて諦めたのですが、大学を卒業して就職をした後に司法書士という資格があることを知りました。

『街の法律家』というフレーズに、「私がなりたいのはこれだ!」と思ったことが、私が司法書士を目指すきっかけとなったのです。

そんな私が、大学を卒業してから司法書士になるまでの経歴をエピソードを交えて私のプロフィールとしてご紹介したいと思います。

宝石販売会社に就職

宝石販売会社に就職

私が大学を卒業した年は超就職氷河期で就職活動にことごとく失敗。

職種はなんでもいいと思い、大学の掲示板に張り出された新卒求人案内にある会社を選びました。

今でこそブラック企業という言葉がありますが、当時はそんな言葉は知りませんでした。

土日の出勤も続き、半月休み無しなど普通で、平日も家に帰れず上司の家に泊めてもらうこともあり、さすがに体力的に限界を感じていました。

ただ、はじめて就職した会社なので、せめてダイヤモンドを1本売って会社に利益を上げたら辞めようと決意!

1本売れたので半年で退職しました。

今では、あれだけ休み無しで働けたという経験が自分の自信になっています(笑)

ホテルの配膳のアルバイト

結婚式場の配膳

宝石販売会社を辞めたものの、すぐに次の就職先が見つかったわけではないので、学生時代にアルバイトをしていたホテルで宴会や結婚式の配膳業務のアルバイトを始めました。

結婚式は特に一回限りで失敗が許されないので、料理やドリンクをサービスするタイミングや礼をするタイミングなどすべて細かく決められていました。

しかし最初の頃はそんなに完璧に覚えられません。

料理をサービスする時に、白いテーブルクロスの上ににんじんやいんげんを落としたりは何度もありました。

その都度、黒服の上司にめちゃくちゃ怒られました。

この仕事でも社会の厳しさを勉強させて頂きました。

結婚式の配膳は厳しかったものの、やはり人生の一大イベントだけあって何度見ても感動する素晴らしいお仕事でした。

しかし「やっぱり正社員として働きたい」と思うようになり、正社員として働ける場所を探すことにしました。

百貨店で婦人服の販売

百貨店で婦人服の販売

母が婦人服の小売業をしていて、たまに母のお店を手伝うことがあり、昔から接客や洋服には興味がありました。

この時期に「司法書士」という職業を知って、「司法書士になれたらいいな」と思ったのですが、勉強を続けられる自信がなかったので、アパレルの仕事をすることにしました。

たまたま求人雑誌で見つけた百貨店の採用試験を受けたところ、契約社員として採用決定。

この百貨店の中にあるブランドの店舗の担当となりました。

最初はお客様に怒られることも多くてへこんだりもしました。

そのお店のお客様は40代から70代のミセスで、ほぼ常連のお客様でした。

常連のお客さまには担当の店員が決まっていましたが、入社したばかりで、どの常連さんが誰の担当か分かりません。

ある日、店長のお客様に声をかけてしまい、お客様から結構強い調子で「あっちに行ってちょうだい」と言われたこともありました。

その後は誰の担当のお客様かを徐々に覚えて、担当者がいない時にちょこっと話し相手をするくらいにとどめることを学びました。

また、ホテルもそうでしたが、百貨店にも共通していたことは、最上級の接客、ホスピタリティとはということでした。

社員教育制度も整っていて、学生時代のアルバイトとは違うプロの接客を学ばせていただきました。

宝石店、配膳に続き、大阪のミセスにもいろいろ鍛えて頂きました(笑)

司法書士になる決意!

百貨店で婦人服の販売

1年間アパレルの仕事をして楽しかったものの、司法書士になりたい気持ちが強くなり、「やはり司法書士になろう!」と決意。

親戚の紹介で知り合いの司法書士の先生の事務所を見学させていただき、その先生に「ここで働かせてください」とお願いして雇ってもらいました。

初めての出勤の日、司法書士がまさかそんなに外を歩き回る(というか走り回る)仕事と知らずピンヒールで出勤。

法務局回りで歩きまくって靴擦れで足の親指の皮が全部むけました。

事務の仕事も、自分でイチから調べて顧客対応から書類作成、申請まで全部やれるようになるまでに数えきれないほどミスをしました。

必要な書類を貰っていなくて法務局で補正がつき、お客様に印鑑を貰いなおしに行くなどはしょっちゅう。

お客様に細かく確認をしていたら、「なんでおまえにそんなことまでいわなあかんねん、こっちは客やぞ」怒られたのに対して、言い返してしまったこともありました。

そのお客様は大事なお客様からのご紹介だったので、その後、代表の先生にはかなり怒られました。
未経験で未熟な私を我慢しながら育てていただいて、本当に今でも感謝しています。

ここで4年半働かせてもらい、司法書士の業務に関しての知識と経験を積むことができました。

司法書士といってもいろいろな専門分野があります。

「他の分野を専門にしている司法書士事務所はどんな仕事のやり方をしているんだろう」と思っていた時に、妹が出産を機に勤務していた司法書士事務所を退職することになりました。

妹が勤務していた司法書士事務所からの誘いがあり、全く違う業務を専門としている事務所でも働いてみたいという思いから転職することにしました。

パチンコ屋の駐車場係のアルバイト!

パチンコ屋の駐車場係のアルバイト

転職した先でも毎日の業務が忙しく、勉強のための時間が取れない日々が続き、なかなか司法書士試験に受かりませんでした。

「正社員で働いている限り私は試験に受からない」と思い、アルバイトで週3回くらいの勤務に減らして試験に専念することを決意して、その事務所を退職しました。

「勉強しながら仕事ができるようなアルバイトって、ないかなあ・・・」と思っていたときに、妹が近所のパチンコ屋さんの駐車場の求人を見つけてきました。

「時給が良くてご飯付き!しかも、ほとんどの時間を小屋の中で待機しながら勉強して過ごせる!まさに受験生には最高の環境だ!」と思い、パチンコ屋の駐車場係のアルバイトを開始!

これで受験は最後にしようと決めた年でした。

ずっと小屋の中で待機できるほど甘い仕事はなく(笑)真夏は炎天下で車の誘導、雪の日にはフロントガラスに積もった雪をひたすら降ろして手の感覚が無くなり、靴の中まで水がしみて足もキンキンになりました。

しかし、パチンコ屋さんというとそれまであまりいいイメージがなかったのですが、食堂のおばちゃんは優しく、作ってくれるごはんは美味しくて毎日メニューが楽しみでしたし、アルバイトの仲間もいい子たちばかりでした。

常連のお客さんは代わる代わる暇つぶしに駐車場に話をしに来てくれるのですが、皆さん本当にいい人たちばかりでした。

コーヒーやジュースの差し入れは毎日のようにいただき、ときには実家の青森からリンゴが届いたよとおすそ分けをいただいたり、一年働いて退職する最後の日には花束を下さる方もいて、人の暖かさに触れた本当にいい職場でした。

司法書士試験に合格!

今年で最後という決意の中での勉強の甲斐もあり、この年に無事司法書士試験に合格しました。

試験に合格したものの、すぐに自分で事務所を立ち上げてやっていける自信もありません。

そこで、まずは司法書士の有資格者として、司法書士事務所で勤務することにしました。

司法書士協同組合に履歴書を置かせてもらって求人を待ち、最初に電話をくれた事務所に就職することになりました。

司法書士の資格者として働き始めたのですが、あまり細かくは書けない重大なミスをしたこともありました。

それでも事務所のみなさんのおかげでなんとか事なきを得ました。

この事務所では、事務員としてではなく司法書士本職として仕事をする責任感と、それまで経験をしたことがない難しい案件もたくさん勉強させていただき、本当に感謝しています。

ただ、自宅から事務所が遠かったため、通勤の大変さと仕事の激務で体調を崩してしまいました。

その体調を崩してしまった年に同じ事務所に勤務していた夫との結婚が決まっていたこともあり、夫と同じタイミングで退職すると事務所に迷惑がかかるため、2年務めたのち私が先に辞めることにしました。

まこと司法書士事務所開業

まこと司法書士事務所

3ヶ所の司法書士事務所で経験を積んだことで、仕事も一通りできるようになり、勤務よりは独立の方が自分に合っていると思い、「まこと司法書士事務所」を開業しました。

開業するにあたって、改めて司法書士の役割って何かなと考えました。

その結果、権利関係で揉めないように登記をしておくとか、遺言書や契約書を事前にまいておくなど、「問題を未然に防ぐ」こと、そして本当に困っている人の心を楽にしてあげることが司法書士の役割だと思い至りました。

法律相談というとまだまだ敷居が高いイメージがあるので、困っていてもなかなか相談しにくい事務所だと意味がないと思い、費用面でも相談のしやすさの面でも、お客様の身近にいてすぐに頼れるところになりたい。

そんな思いで、開業後も仕事を続けてきました。

「先生にはなんでも相談しやすい」
「明るい空気を持っているので堅苦しい取引などの場を和ませてくれる」
「先生のおかげで、また人生頑張って生きていこうと思えました。本当にありがとうございました」

こういったお言葉をかけて頂いた時は本当に嬉しかったです。

難しい債務整理案件をうまく解決できた時や、こじれにこじれた相続案件で最後にみなさん納得して印鑑を押してもらえた時などは、この仕事の大変さとやりがいを感じます。

大正時代まで遡って権利関係を調べて、証拠集めや資料集めと、市との協議で2年を費やしたこともありました。

それでも苦労した分、お客様に喜んでいただけると、やって良かったなと思います。

自分で開業すると責任の重さを感じますが、それ以上にお客様に喜んで頂いた時のやりがいを感じるようになりました。

これからの「まこと司法書士事務所」

今は家族が近くにいない一人暮らしの高齢者の方がますます増えています。

「任意後見」という、まだ元気な方が認知症や寝たきりになる前に「自分で自分の後見人を選ぶ制度」があります。

元気な頃の見守りから、意思能力がなくなったあと、天寿をまっとうされるまで、更にご希望があれば死後事務も全て任せていただくことができる制度です。

その場合、火葬や葬儀の手配から役所の届出、各種契約の解約事務まで長く一生を任せてもらうことになります。

そのように「今後の人生すべてをこの人に任せよう」と思って頂けることはすごく荷が重い反面、仕事ぶりから人柄まですべてを評価・信頼してもらえたという大きな喜びがあります。

まさに法律家冥利につきる仕事だと思います。

これからの「まこと司法書士事務所」は、人柄を信頼して任せてもらえる「任意後見」の仕事に注力していきたいと思っています。

このプロフィールをお読みいただき、私の人柄を信頼して頂ければ、これほど嬉しいことはありません。

最後に

長いプロフィールをお読みいただき、ありがとうございました。

司法書士に仕事を依頼する時に「この人って、どんな人だろう?」と思われる方は多いと思います。

ましてや後見人として後見業務を任せる場合はなおさらだと思います。

私のこれまで携わってきたことを包み隠さずお話して、私の長所も短所も含めた人柄のすべてを見て頂きたいという思いで、このプロフィールを書きました。

もし何か「ちょっと聞いてみたい」ということがあれば、是非ご連絡下さい。
お会いできるのを楽しみにしています。

司法書士
松浦 真澄